「王様は裸だ」と言った少年を無視された
「王様は服を着ていないよね?」
ある少年が言った。周りの大人はこう答えた。
「お前は王様じゃないだろ?ただのガキじゃないか。黙ってろよ。」
少年は、何でそうなるんだろう?と思ったが、何も言い返せなかった。
その前を、裸の王様が通り過ぎた。
(『裸の王様』)
上記の記事を読んでいて、僕が昔書いたエントリに体するネット住民の反応を思い出した。
そのエントリの内容は簡単に言えば、「今の起業家は、プロダクトがないのに起業したっていう事実だけで
偉そうなこと言う人が多いよね」というものである。
もちろん僕は何者でもない。だから、上記の批判をしても「若造で社会を知らないから、
そんなこと言えるんだろ」みたいな批判は筋違いでも絶対くると思っていた。そして「若造」という事実だけで、
僕の上記の批判は中身も見られず、打ち捨てられることは簡単に予測できた。
そこで僕は、増田を使おうと思った。増田を使えば、匿名だからこそ中身が見てもらえると思ったからだ。
そして増田に書いた。結構な人に読んでもらい驚いたし、有り難かったが、そこで予測していない事態が起きた。
匿名であるにも関わらず、一部の読者は勝手に著者の人物像を妄想し始めたのである。
ある人は言う、「こいつは起業したことがないから分からないんだ。だからこいつの意見はクソだ。」
ある人は言う、「こいつは自分にそういう能力がないから、ただ愚痴を吐いてるだけだ。だからこいつの意見はクソだ。」
ある人は言う、「こいつは分かってるんだから、あとはやれば良い。やる力が無いんだろ。だからこいつの意見はクソだ。」
本当にクソなのはどちらだろうか?
彼らは中身を見ずに別の所で批判を行い、中身自体の価値を下げようとする。
これほど誰のためにもならない行為はあるだろうか?少なくとも中身に対して議論すべきでないか?
少年が言っても、学者が言っても、老人が言っても、王様が裸の事実は何も変わらない。
「お前は王様じゃねぇだろ」と反論しても何の意味もない。それでは王様は裸のままだ。
少なくとも「王様は裸なのか?」とみんなが確認し、「王様は裸だよ。でもみんな空気を読んでるんだ。」
という形で反論をする必要がある。
その文化がなければ、ネットで必至に言論活動をする意味は本当に皆無だと思う。
スラッシュ族は死んだのか?〜大学生のTwitterプロフィール欄は要するに自慢したいだけ。〜
注:下記の記事は僕が2010年に書いたものである。最近は記事にでてくるようなTwitterで自慢しまくる大学生も減ったなぁと感じていて、個人的には一時期ミサワが流行ったのが原因なのではないかと思っている。
2010年を境に急激な広まりを見せたTwitterは、大学生にも浸食し、Twitter就活などという言葉も生まれるほどに普及した。多くの大学生が友達とのコミュニケーションや、自分が面白いと思ったニュースを広めようとTwitterを使っているが、彼らには別の目的もある。「自分が如何にすごいかを友達に自慢する」という目的だ。リアル世界では自慢は嫌われる。自分だけがすごいと思っていることを他人にひたすら言いふらす行為が自慢だからである。本当にすごいのなら、自分から言わずとも他人が勝手に見つけ出してそのことを褒めてくれる。だから、他人の興味のない話をする自慢は嫌われる。しかし、大学生は自慢したくてしょうがない。大学生はいろいろと活動をしている人が多い。その理由は、純粋に楽しいからであったり、就職に備えてだったり、といろいろあるが、彼らはだんだんその活動をいやでも自慢したくなってくる。なぜなら、自分の友達が自分のサークルでの活動を自慢して、周りから「スゲー。」と言われているのをみると、「俺のほうがすごい!!もっと評価してくれ!!」と嫉妬心(日本人の才能)が爆発するからだ。結果として、大学生は「俺の方がすごい自慢」をするようになる。ただ前述したように、その行為はリアル世界では嫌われる。友達からは嫌われたくない。そこで彼らはTwitterを活用する。「俺、今日朝からMTGでさ〜寝てないんだよね〜。眠い・・」とミサワ的ことを書いても、結局それは”ひとりごと”でもあるし、”友達に伝わる自慢”にもなるグレーゾーンに位置する。結果、大学生のタイムラインにはクソみたいな面白くもないつぶやきが溢れるようになる。誰だって、そんなつまらない奴をフォローしたくない。そこで、以下にそいつらを見分ける2つのポイントを記す。
A.実名族
自慢したくてしょうがない学生には実名が多い。彼らは積極的に課外活動をしているので、自分が所属する外部団体のリーダーとも知り合いぐらいの関係にはある。そしてリーダーは往々にして業界内でまあまあエラい。結果、彼らはこう考える。
「俺があの人と絡んでいるところ見せつけて自慢してやろう。」
要するに箔を付けたいのである。そこで彼らは、リーダーをフォローして返信をとばす。しかし、ここで問題が生じる。リーダーは自分の本名しか知らない。ニックネームを教えるほどには喋らないし仲良くない。結果として彼らは実名を選ばざるを得なくなる。要するに、自慢するためには実名しかないのである。
B.スラッシュ族
また、自慢したい学生はプロフィール欄が特殊なほどスラッシュに溢れている。例えば、
○○大学○○学部○○学科/○○サークル経理/広告代理店インターン/簿記2級/カナダ留学/起業/ボランティア
みたいな感じである。これも自慢の一体系である。要するに自分が何に所属し、何をしてきたかをすべて書くことによって、「俺はこんなにやってきたんだ!!すごいだろ。」と友達に自慢するのである。そして、「なにくそ。」と友達も自慢し返すために、プロフィール欄に記入を開始する。ひどい人だとネタがつきたのか、夢を書き始める。その夢の多くは例に漏れず”起業”である。こいつらは一般的にスラッシュ族と呼ばれている。スラッシュも自慢の一形態である。
上記のA、Bを両方実践している学生は、ほとんどが自慢屋だと思っていい。彼らは友達との自慢合戦に忙しく、せっせとスラッシュをいれ、リーダーにしつこい返信をいれ、自分のすごさをアピールする。要するにTwitterという世界とつながるツールを使いながらも、結局は友達との狭いカーストでしか生きていないのである。
2012年はファッション起業家の年
ファションパンク・・・かっこだけのパンクグループのこと。本当のパンクではないこと。
売れるために自らの魂を売り渡した偽ロックグループ。と、しばしば本物のパンクを自称する人々によって
侮蔑の言葉として使われる。
(『はてなキーワード』)
「俺が言い続けているのは、自分の道を見つける事、自分の音を表現する事、自分に正直である事、
そして個性を失わない事。人の真似をする必要はまったくないんだ。パンクが伝えようとしてきたもの、
それはただひとつ。自分らしくあれ!」
by John Lydon
「2012年は何が流行るの?」と聞かれれば、まず間違いなく最初にでるのはこれだろうね。
”ファッション起業家”だ。
2011年は、本当に多くの人々が「起業する!」と言った年だった(実行するかしないかは別として)。
その原因は「クラウドやスマートホンの普及である。云々...」みたいな記事が良く書かれるが、
それは初期要因なだけであって、ブームの要因ではない。では、なぜ多くの人々がこんなに起業を夢見たかと言えば、
何のことはない”周りの奴がみんなやってるから”だ。他のブームと一緒。バブルと一緒。
大学時代の知り合いが起業して、Twitterでドヤ顔で高説垂れるのを見て、「くそ食らえ、俺のほうが上手くやれる」
と思い、「起業する」と言い始める。これ自体については「別に良いじゃん」という意見が大多数だと思うが、
あるひとつの問題を抱えている。それは、”「起業する」と言うだけで一定の賞賛を得たと錯覚してしまう”点だ。
僕が特にこれを意識しだしたのは、昨年度からいわゆる”意識の高い学生”が将来の選択肢に、
外資系投資銀行・外資系コンサルに加えて、”起業”を加え始めてからだ。彼らは、周りの友達が「アプリ作ったー」
と言って、「すごーい」「かっこいい」みたいな賞賛を受けるのを見て、「外銀・外コンと同じで、
起業もけっこうなステータスになるな」と思い始める。そして、別に起業をしたくなくても選択肢に加える。
「俺、ゴールドマン受けるわ(ドヤ」
「俺、マッキンゼー受けるわ(ドヤ」
「俺、起業するわ(ドヤ」 ←NEW!!
というわけだ。その最たる例が、Twitterプロフィールにある”起業準備中”という言葉である。
これは、「起業しました」というつぶやきすら待てず、「起業する」というだけで賞賛をいち早く受けたいという
思いが生んだプロフィールだ。そして、「起業する」といえば、”一定の賞賛を得たと錯覚できてしまう”現状を
端的に示している。
「別に起業人口が増えることは悪いことじゃないでしょ。」というのが現在の主流ではある。
しかし果たして本当にそうだろうか?疑ってみる必要があると僕は思う。
まず前提として、彼らは「起業する」と言いたいだけであって、”プロダクトを流行らせたい”とか
”世界を変えたい”とかこれっぽちも思っていない。(最近、「世界を変えたい」という言葉が陳腐化しているのは、
彼らのせいだ。本音は、”「起業する」と言ってちやほやされたい!!”なのだけど言えるわけない。)
そして彼らは、アホだけど無駄に行動力がある。しかも、「起業家は失敗を恐れない」
という援護射撃があるからもう止められない。これが最大の問題だ。彼らは、本当に頑張っている起業家に対して
「一度、お話させてください!!」とスパムまがいのメール爆弾を仕掛け、カンファレンスに出まくり、
ドヤ顔で質問しまくり、結局何もやらない。こうして徐々に徐々に、「世界を変えたい!」という思いを元に集った
起業家集団のなかに、ファッション起業家が紛れ込んで行く。
ファッション起業家は、起業家の「日本から世界を変えるスタートアップを出したい!!」という善意を利用する。
ファッション起業家と会うために、世界を変える起業家はコードを書くのを辞めて、眠る時間を削って、彼らとの話に赴く。
プロダクトを改善するための1実装が、ファッション起業家のために遅れる。そして、せっかく話しても彼らは、
1年間ずーと「プログラミングできない」とつぶやくだけで何もしない。まったくもって時間の無駄。
シリコンバレーの500startupsにアポ無しで日本人が押し掛け、迷惑しているという話が会ったが、
このエピソードは、ファッション起業家が引き起こす問題の一例である。
これが「起業する」と言っただけで評価される風潮が引き起こす問題だ。
おそらく今年は、このファッション起業家がより一層増える年だと思う。そして、
起業家向けのカンファレンスや、インキュベーションプログラムに対する応募者の質はもっと低下することになる。
そもそも起業家とは、”起業家”という経歴が既定するものではない。
「現状を疑い、それを変革する行動力を有する者」であれば、コンビニのバイトでも、小学生でも、
大企業の社員でも、彼らはみんな起業家である。ファッション起業家の問題とは、
いつまでたっても名声を追い求め、「本当に自分のやりたいことは何か?」を自問することから逃げている点にある。
「大企業の中で新しいものを作るというのと、何も無いところに自分たちのお金を
突っ込んでオウンマネーで作る、ダメになったらすべての生活が破綻しちゃうというところでやるパターンと、
あると思うんです。そこで、起業家は偉い、大企業に入るヤツはリスクをとらないと言われるのは大嘘で、
大企業に入れないから起業家やってるってヤツが、起業家の中の8割くらいいるんですね。
こういう人は大企業にいたって、起業したって、大きな仕事はできないですよ。 起業するかも知れないし
大企業に入るかも知れないけれど、とにかく大きな事をやりたいという人、もしくはミッションとして
やらなきゃいけないことを持ってるって人が、起業家には2割ぐらいいると思うんです。六本木でモテたいと言うより、
世の中を良くしたいというひと。世の中良くしたいって言うとカッコ良すぎるかもしれないですが、
なんか世の中を面白くしたいって人。ザッカーバーグは両方持ってますよね。目先の面白いことやりたいし、
こんなのがあったらもっと面白いよねというのを。」
by 夏野剛(http://p.tl/0kHR)
クレイジー 〜起業家はガンジーにもなれるし、ヒトラーにもなれる。〜
「クレイジーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。 自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが、 本当に世界を変えているのだから。」と世界を変えたAppleは言った。
それは真実だ。起業家には、「そんなの無理だろ。」と言われても「うるせぇ、黙って見てろ。」と
切り返す意思が必要不可欠だ。
全起業家はその意思を持ち合わせているし、それは賞賛されるべきものだ。
でもそれは一種の危うさを秘めている。ヒトラーに「何でそんなことするんだ?」と聞けば、
「うるせぇ、黙って見てろ。100年後のドイツ国民は俺に感謝するぞ。」と言っただろう。
善意をもとにした行動ほど暴走し、危険な思想・行動へと変化するものはない。彼らもまたクレイジーだと呼ばれた。
「人と人とを繋げたい!!」と言うのは、「他人のプライバシーを使って儲けたい」ということも意味しているし、
「世界を変えたい!!」と言うのも、「俺の想像した世界で生きろ。」ということを意味する。
すべてのクレイジーな行動には、一種の危うさが秘められている。
それを善いか悪いか判断するのが多種多様な人が属する市場の役割だろう。
「SNS?友達がやってるから俺もやるかー。名前と住所はばれてもしょうがない。」
「SNS?名前と住所がばれる?そんなのやる分けないじゃん。」
どちらに転がるかは分からない。でもその市場の判断に対してイチャモンをつけるべきではない。
サービスがリリースされてそのサービスに対して何らかの批判が起こると、
「本当に日本は起業家に冷たい駄目な国だ。このままじゃ日本は廃れてしまう。」
という人が時々いる。でもそれが市場のだした答えだ。そしてその答えが間違っているかどうかは分からない。
あなたのほうが間違っているかもしれない。判断するのは市場。
どうも日本の起業家のコミュニュティ内には”エリート意識”があり、
それが大衆市場との距離を生んでいるとしか思えない。
(僕は、「IE使ってる人とかまだいるんですね。」という発言がそれを象徴していると思う。)
「世界を変える?そんなに世界を変えられるとめんどくさいから、やめてよー」という人がいても良いし、
「IEで良いじゃん。めんどいよ。新しいファイアなんちゃらとかさ」という人がいても良い。
彼らよりも「世界を変えたいし、ブラウザはもちろんChrome」という起業家が優れているわけじゃない。
起業家は起業家コミュニティでつるむのでなく、もう少し彼らに近づき、受け入れるべきだ。
マーケットのプレイヤーとして見るのでなく、もうひとつの価値観として。
この2つのセグメントが敵対せずに交流し、2人3脚でサービスを生み出し始めたとき、
日本を変えるサービスがどんどん生まれる。僕はそう思う。
忘れないでくれ、あなた方はクレージーなんだ。毒にも薬にもなる。
Facebookは地獄だ。
Facebook症候群・・・精神病の一型。自らの意思よりもFacebook上での見た目を意識した結果、
自我が抑圧され、精神的苦痛を起こす疾患。2011年以降、世界的に流行が見られた。
(『精神医学用語集2013』)
小学校から帰ってくるなり、娘はパパに向かって叫んだ。
「パパ!どうして私が生まれた時に病院でチェックインしてくれなかったの?
おかげで私のタイムラインがダサイって友達に笑われちゃったじゃない。パパなんて大嫌い!!」
(『Le Grand Cahier』)
2011年9月24日、SNS大手Facebook,Inc.の若きCEOは満面の笑みで“タイムライン機能”の発表をした。
この機能を使うことによって人々は自らの“ゆりかごから墓場まで”の人生をパッケージング化し、
外部に売り出すことが可能となる。どこで生まれ、いつはじめての恋人ができ、どこの大学に行き、
どの会社に就職し、その会社のパーティでどんな顔をし、そこでどんな友達ができたのか、
すべてがログ化され、外部に見せるためのコンテンツとなる。
もはや“人生“はFacebookが広告料を稼ぐためのコンテンツと化した。
Facebookの原動力は、”見栄”である。
「ほら見て!私には友達が1000人もいる。しかも企業のCTO。彼氏もいるし、
先週は友達と旅行にも行った。で、昨日は飲み会。ほらこれ昨日の写真。
私の顔超楽しそうでしょ。あー、私の人生って本当素晴らしいわ。ねぇ、見て見て!!」
それを見た友達はこう感じる。
「何よ!私だって旅行に行ったわよ。ただアップしてないだけ。今度からはアップしよ。
飲み会だって今週は無かったけど、けっこう行ってるわよ。でも友達は...600人しかいないわ...
これじゃあ友達いない人に思われちゃう...何とか増やせないかしら?」
会社が一緒だけど面識はない人。知り合いの知り合い。大学のころ一言しか話さなかった同級生。
およそ友達とはいえない人々にフレンドリクエストが送られる。数値上では友達の数は1000人だ。
やったね!でも実際は?
虚飾、虚飾、虚飾。
ベルサイユ時代の貴族さながら、彼らは自らの人生にできる限りの装飾を施す。
たくさんの友達。毎日のパーティ。素晴らしい経歴。素晴らしい生活。
で、今回のタイムライン機能。これまでは過去の15分間だけに気を遣えばよかった。
でもこれからは、人生全体にお化粧を施さなければいけない。
どこで生まれ、何を考え、どこに所属し、何をしてきたのか?そのすべてが記録される。
“見栄”を源泉に行動するFacebookユーザは、かつて自らの15分間を精一杯装飾したように、
自らの人生そのものも精一杯装飾して、魅力的なパッケージにしようとするだろう。
そこにあるのは友情や成功、一貫性といったポジティブなものだけ。友情の破綻や失敗、
試行錯誤なんてネガティブなものは綺麗さっぱり排除される。そんな人生は恥ずかしい。
彼らは自らの精錬潔癖なFacebookで自らの意思を縛るようになる。
中学生のころ、友達と遊ぶのが一番楽しかった少女はFacebook上に友達との写真をいっぱいアップしている。
タイムラインには楽しそうな写真でいっぱいだ。高校になって彼女はふと気づく、「私は漫画家になりたいんだ...!」
本当なら友達と遊ぶのを辞めて部屋で絵を描いていたい。でもFacebookがそうさせてくれない。
なぜなら、中学校時代は友達との写真でいっぱいだったのに高校時代になっていきなり写真が減り始めたら、
周りから“高校時代に失敗した子”として認識されてしまうからだ。
結果として少女は、自らの意思をねじ曲げ、友達と遊び続ける。本当は絵を描いていたいのに...
人は試行錯誤しながら成長する。だが評価されるのは一貫性だ。
無秩序よりも秩序、非論理よりも論理を好むのが人間の本能だから。
Aさん「テニス部(中学)→テニス部(高校)→テニス部(大学)」
Bさん「卓球部(中学)→帰宅部(高校)→テニス部(大学)」
上記2人が「テニスが好きです!」と行った場合、信用されるのはどちらか?
Aさんだろう。一貫性があるし、秩序だっている。もしかしたら卓球とテニスの違いを知る②のほうが
テニスを好きなのかもしれないのに。
今まではこのような人生の試行錯誤が表にでることはなかった。
だがFacebookのタイムラインはそれを表に引きずりだす。
こうして彼らは、一貫性のありすぎる人生を送ることになる。そのほうが評価されるから。
「いやいや、だったらアップしなきゃ良いだろ。」という人がいるかもしれない。
だが、“見栄”とそれによる”人と人との繋がり”を原動力とするFacebookでは、それは無理な話だ。
他の誰かが自分の人生を晒し、それが魅力的に見えるのであれば、「自分もそうしたい。アップしたい。」と思う。
もし仮にそうは思わなくても、自分の所属しているグループのメンバーが自身の人生を装飾し始めれば、
そこから追い出されないよう「自分はあなたと対等に付き合う資格のある人間ですよ」と自らも証明しなければならない。
しかし、それはあくまで背伸びした自分であり、本当の自分ではない。
最近の起業家は気持ち悪い、そしてそもそも起業家ではない。
最近日本のスタートアップが活気づいている。学生を含め、
多くの若者が会社を立ち上げ、明日のザッカバーグの夢を見ている。
(その夢の姿は往々にして『ソーシャル・ネットワーク』そのままだ。)
だがきっとその夢は一生叶うことはない。残念ながら。
グレアムの言葉にしたがって楽天家を演じている日本人起業家の皆さんは
私に向かってこう言うだろう。「どうして君はそんなこと言うんだ?
俺たちは世界を変えるんだ。大変かもしれないがそれは不可能ではない。Facebookを見ろ。」
オーケー、オーケー、確かに起業家は世界を変える力を持つ。それはすばらしいことだ。
だがそもそもあなた方は起業家なのか?ザッカバーグなのか?
自問してみよう。残念ながら違うことに気づく筈だ。あんた方はただの”タレント”だ。
日本のスタートアップ環境は極めて特殊である。
そもそもスタートアップと言って良いのかさえ分からない。
それはこう言い表せる。
”変質的なまでの人物志向、つーかプロダクトなんてクソ食らえ!!”
日本のスタートアップ環境は、企業の評価を人物のみで行う。その人が有名であるか否かでだ。
有名人がプロダクトをリリースすれば、クソみたいなプロダクトでも盛んにRTされ、絶賛される。誰も使わないが。
一方、無名の人が素晴らしいプロダクトをリリースした場合、それはほとんどフックアップされない。
さっきRTしてた連中は、TechCrunchに取り上げられるまでは自分から面白いサービスを見つけようとしないし、
そもそも面倒くさがっている。うーん、話が見えづらいかもしれない。つまり、こういうことだ。
アメリカ「このFacebookってサイトはCoolだね。誰が作ったんだ?ザッカバーグか。すごいな。」
日本「あのザッカバーグがプロダクトリリースしたぞ!!すごい!すごい!さすがザッカバーグ!で、何てプロダクトだっけ?」
圧倒的なまでの人物本位。プロダクトは二の次。プロダクトを生み出すのが起業家なのに!!
「でも、その人物に実績があれば良いじゃないか。僕はジョブズが何か新しいことをすると聞けば
ワクワクするよ。彼はいつも素晴らしいプロダクトを生み出してきた実績がある。」
オーケー、確かにその通りだ。それは認める。僕だってiPhone5には期待している。
だが実績の面でも日本のスタートアップは何かがおかしい。例えば日本では、
”学生”というだけで起業家が評価される。まだプロダクトもリリースしていないのに!!
(そして、実際リリースされるプロダクトもだいたい・・・だ。悪いけど。)
実績評価においても日本のスタートアップ環境は”プロダクトなんてクソ食らえ”を貫いているわけだ。
涙が出るね。いやほんと。
こんな状況で今恐ろしい事態が起こっている。素晴らしいプロダクトを生み出す人よりも、
Blogで名前を売るのが得意な人のほうに注目が集まっているんだ!!彼らはBlogに時間をかけて、
”いかにも起業家でござい”というようなことをしきりに書く。読者に”この人はすごそうだし、何かやるぞ”と思わせるわけだ。
そして注目が集まった時点で起業する。あとは、さっき言った通りクソみたいなプロダクトがでて、RTされて、誰も使わず終わる。
でもカンファレンスとかに呼ばれて、”僕は起業家だ。”というどうでもいいプレゼンをする。彼らは残念ながら、
”自分を売り込んで偽装する才能”はあるが”起業家としての才能”はない。
これが、僕が日本の起業家を”タレント”と言った由縁だ。
まだ信じられない人がいるかもしれない。だが見てみろ。Twitterでは、
自分のプロダクトが流行っていないのに、自分の考え方を熱心に説いてる自称起業家がいっぱいいる。
彼らはタレントだ。当てにするな、耳を塞げ。ほらあっちにも起業家だ。
Blogでは良い事ばっか書いてるが、リリースされたプロダクトはクソだ。あれもタレントだ。
残念ながら、この状況で日本からGoogleやFacebookを生み出すことを期待するのはよした方が良い。
日本のスタートアップ環境は、薄暗い部屋でコードを書き続け、未来を作っている薄汚いギークよりも、
世間の空気に媚びへつらい、自分を偽装するのがうまいタレントを欲している。ジョブズは何で有名になった?
Macという素晴らしいプロダクトだ。ページとブリンは?Googleという素晴らしいプロダクトだ。家入一真は?
ロリポップという素晴らしいプロダクトだ。決して、人物から有名になったわけではない。今の状態が続けば、
素晴らしいプロダクトは生み出せないが起業家ぶるのが上手い人物だけがのさばることになる。
そこに渦巻くのは自己欺瞞だけだ。”世界を変える”なんていうのも、陳腐なパフォーマンスに成り下がる。
もし、この記事を呼んで状況を変えたいと思う人がいるのであれば、
代わり映えのしないBlogやTwitterをたたんで、雑音を閉ざし、
自分からプロダクトをフックアップしていってほしい。
そのプロダクトを誰がやっているのかは関係ない。ただただ素晴らしければ、
力になってあげれば良いんだ。プロダクトのみが自己表現。そんな人だけを見つけよう。
PS.
この記事を読んだ”優秀なタレント”の皆さんは、その能力をフルに生かして、
上手く”自分はタレントでなく、起業家だ”と偽装することに成功するだろう。
今からでも想像できる。例えば、「僕はこうならないように気をつけている。毎日。RT...」
みたいな感じでだ。クソ食らえだ。文を書くのを辞めろ。プロダクトだけで自分を語れ。